急進派と第三会議、地殻の安定

急進派と第三会議、地殻の安定

急進派と第三会議

 3137年、プダット王はアサン大陸に記念すべき最初の惑星都市クークーシャントを建設する。ドゥーシーⅠは初代長官の名をとってルクと改名され、王国は軌道時代から惑星時代へ移行し、三方を山岳に囲まれた平原を中心に生活圏を広げてゆくことになる。
 3159年、ネビルタの第三会議は惑星ルクの豊富な資源を狙って侵攻を開始する。クリート王は軌道防衛に失敗し、和平交渉で軌道都市アクチガーエーとインピルダを失う結果になった。3201年、軌道上に橋頭堡を得た第三会議は機構と王国の対立の隙間を狙って大陸コサンビー割譲を要求する。度重なる外圧を受けてモリアイ内部でも分裂が生じて急進派(アビニ・モリアイ;「知性と美と力」の意)が台頭する。急進派は第三会議との全面対決を訴え、3203年にゴレッタ女王を退位させて政権を奪取した。王制は廃止されて寡頭共和制へと移行し、軍備増強が推し進められてゆく。モリアイ穏健派は母市インシャント・パレーへ逃れて美しき古都を死守して独立を保ち続けた。3205年、共和国は第三会議に奪われていた二都市を攻撃して領土回復に成功し、勢いに乗じてネビルタへ侵攻する(第二次ドゥーシー紛争)。この戦役は実に4年もの長期に亘って繰り広げられ、共和国軍がネビルタを陥落させて終結した。ドゥーシーⅡのほぼ全域が共和国の占領下に入り事実上の国家併合となったが、経済疲弊や政治の不安定化によって占領を維持することが難しくなり、占領地の相次ぐ反乱によって共和国は新領土を放棄せざるをえなくなった。3211年にアビニ・モリアイはついに崩壊し、惑星ルクはこの後400年続くことになる都市国家時代を迎えることになる。
 

地殻の安定

 3200年代中頃には地殻は安定期に入り、アサン大陸の南岸や西岸、さらにコサンビー大陸でも都市が建設され始める。モリアイ朝が崩壊していたので中央委員会の統制力は弱く、入植はやや無計画な形で進むことになった。我先により良い土地への入植権を得ようと都市間の紛争が頻発し、建設されたばかりの都市が軌道砲撃を受けるということも度々起こった。また植民都市が母市から独立して同族同士が争うような事態も発生し、とかくこの時代は各地が混乱しており、各都市間の同盟・敵対関係は次々に変化し続け、まさに群雄割拠という情勢だった。しかしこういう時代だからこそ、数々の独創的な英雄たちが登場したのも事実であり、現代の歴史小説で最も頻繁に取り上げられている。
 ペリは軌道都市アテックで大僧正の嫡子として生まれ、幼少から少年時代まで故郷の僧院で厳しい修行生活を続けていた。成人すると新都タシ・イテルの僧院へ僧正として赴任し、都市を統治した。
 

混血王

 3600年代に入ってようやく南岸地域で広域国家勃興の兆しが現れる。センプティンカウ、エリフ(現アーチム)などの南岸諸都市を統合してザキントを建国したのは風の王ウトサールだった。別名は「混血王」。彼の祖母がネビルタ人であることに由来するらしい。
 3653年、ウトサールの子、「征服王」モンカン一世は西部へ軍を進めて西岸諸都市を制圧する。征服王の名にふさわしく、西岸を手中に収めても彼の野心は満足しなかった。彼は領土拡大政策を継続するが、東征中に敵艦の砲撃を受けて壮絶な戦死を遂げる。
 モンカンの死後、3人の息子たちによって領土が分割された。モンカン二世は南岸を、ハークは中原を、インカールは北岸地域を治めることになった。
 しかし、この三兄弟の運命は悲劇的だった。モンカン二世はスキシェビ将軍の謀叛で没し、インカールはタシ・イテルの王女ヤブクジャの反撃によって兄ハークの治める中原へ逃亡するが、王位簒奪を疑われて暗殺されてしまう。ニング朝は中原(新ザキント)で辛うじて命脈を保つものの、呪われた一族の運命に怯えるハークは日に日に正気から遠ざかり、家臣の処刑を繰り返すようになる。最後は近衛隊の反乱によって地下に幽閉され、ハークの養女オキが跡を継いだ。彼女は近衛隊長に嫁いでいたのである。
 3845年、ビラモ王の時代に国境付近の要塞都市アケアが独立を宣言する。ビラモ王がアケアの包囲を開始すると同時に北方のタシ・イテルが南下を開始(中原戦争)、古都インシャント・パレーも軌道上から侵攻を援護した。3846年にキジコが陥落し、王都ソアが包囲されると、ビラモは降伏する。こうしてタシ・イテル大陸西部支配が完成した。インシャント・パレーには中原の要所アケアが割譲され、再び地上進出の足がかりを得る結果となった。

スポンサードリンク
末尾大型広告
末尾大型広告

コメントをどうぞ

メールアドレスが公開されることはありません。

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)