王政の宣言、惑星分離計画

 インシャント・パレーによる王政の宣言、惑星分離計画

王政の宣言

 2821年にインシャント・パレーはモリアイ朝インシャント王国の樹立を宣言するが、王国の直接支配権が及ぶのはパレーのみで、その他の都市とは基本的に従来の関係を変えていない。たとえば共和制都市がそのまま王国の従属都市として存在し続けることもあった。パレー内部においてもモリアイが代表者を選定して都市を統治するという構図は基本的に変わっていない。統治者の名称は「長官」から「国王」に変化した。末子相続による世襲は認められているが、最終的にはモリアイの承認が必要である。しかし、この時代から行政文書が急速に増えているという傾向がある。パレーと周辺領域の歴史的考証も王制化以降に関してはかなり詳細なものとなる。これはモリアイの慣習による統治から文書行政へと大きく転換していく様子を示している。その中で特に目を引くのは「外交権はモリアイに帰する」、「国王はモリアイに対する人事権を有さない」と明示されている部分である。「長官」の大きな権限を制限して、より形式的な「国王」に据え置き、モリアイの指導力を強化する意図が窺える。現在でもインシャント語で女性定冠詞をつけて「ウー・エムルト(長官)」といえばルク・スアー個人を指すが、王制への移行はもはや彼女のような伝説的指導者に依存しないことを宣言したようなものだ。しかしパレーが王政を宣言したことは対外的に求心力を増すことになった。小都市が割拠する不安定な時代に機構に対抗するもう一つの「極」ができたことで、二つの陣営構図がより鮮明になり、ある種の軍事的均衡をもたらすことになる。王国は機構側諸都市への接近を繰り返したが、大きな衝突に発展させないように慎重に行なわれていた。一方で機構も資源の優先的供給などを武器にパレーの従属都市や中立都市を自陣営に組み込もうと活動していた。
 

惑星分離計画

 そのような緊迫情勢の中にあった2835年、機構直轄都市シャースーの護都長キシカが従属都市フォンサを訪問中、分離独立を目指す過激派の青年の手によって暗殺されるという事件(クリプルク街道事件)が発生する。階層市民制をとる機構において、フォンサの民は長年二等市民に甘んじており、社会的不満が限界まで鬱積していたのである。機構は過激派を一掃すべく統制軍を派遣するが、フォンサはパレーに支援を要請する。パレーはこの機に乗じて機構を取り除くべく友好国・従属国と連合して紛争に介入することを決断する。唐突に戦端を開いた軌道上の陣営決戦は終始パレー側の優勢に推移し、26日間の交戦後、中央委員会の調停の下で講和条約が締結された(ナイリの講和条約)。この条約によってパレーは巨額の賠償金を得て機構の力を削ぐと同時に中央委員会における主要ポストを獲得して事実上ドゥーシーの盟主となった。ドゥーシーⅡに対する外交権も得たパレーは2839年に「第二会議」との間で 惑星分離計画 の協議に入る。「惑星分離計画」とは、双子惑星と呼ばれるドゥーシーⅠとドゥーシーⅡの距離を引き離して双方の潮汐作用を緩和し、地表開発の準備を整える巨大プロジェクトである。協議を重ねて2873年に合意に達し、ドゥーシーⅡ上で天体加速器の建設が着工される。2914年から段階的に分離が行なわれ、3000年代からルク(2988年にドゥーシーⅠから正式に改名)において大気・海洋の形成が始まった。この頃になるとパレーは周辺の従属・友好都市との結びつきをさらに深めてゆく。3043年、スラクーク王の子ピュラクトはエピナの王女ネアニームと結婚し、3051年に国王に即位した際にエピナの王位も同時に継承した。これによってパレーはエピナが治めていた三つの小都市(ウナ、アクチガーエー、ルビュ)を直轄領として組み込んだ。

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